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🎦今日の「愛の抜けた映画ブログ」の鑑賞録は、2005年に公開された日本映画『男たちの大和 YAMATO』の当時の劇場鑑賞からの回顧や、配信先動画視聴からの感想・考察を投稿しています。
懐かし度 🎦 🎦
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【男たちの大和 YAMATO:どんな作品?】
『男たちの大和 YAMATO』は、東映配給の日本の戦争映画です。 辺見じゅんさんの『決定版 男たちの大和』を原作としていて、終戦60周年を記念して制作されました。
第二次世界大戦中期から昭和20年(1945年)の天一号作戦に連動して特攻作戦に参加した戦艦・大和の乗組員の生き方を描いた作品です。2005年12月17日に東映邦画系で全国劇場公開され、同年の邦画興行収入1位となりました。長渕剛さんが主題歌を歌っています。
【男たちの大和 YAMATO:あらすじ】
鹿児島県の枕崎漁港の漁協に1人の女性が訪れます。その女性・内田真貴子(鈴木京香)は大和が沈んだ地点へ連れて行って欲しいと頼み回ります。しかし、漁協組合員の漁師たちは誰一人相手にしてくれません。
漁協の漁師の中に、水上特攻時に大和の乗組員として乗艦していた神尾克己(仲代達矢)がいました。一度は真貴子の頼みを断りますが、真貴子が上官であった内田二曹の娘(養女)であることを聞かされます。真貴子は、内田が去年末に亡くなり、遺言の「大和沈没地点に散骨して、戦死した戦友たちと一緒にして欲しい」という願いを実現するため枕崎にきたというのです。真貴子の内田のその後の話を聞きながら、神尾に若き頃の思い出が浮かび上がってきました。内田が激戦の中で戦死せず生き残っていたことに驚きながらも、戦時中の大恩人である内田のために出港を決意し、真貴子の頼みを聞き入れた神尾は、唯一の乗組員・前園敦(神尾の部下)という15歳の少年と真貴子を乗せ、大和の沈没地点へ出航します。
そして、ずっと閉ざしていた口を開き、あまり語らなかった内田の話を真貴子に語り始めるのです…
【男たちの大和 YAMATO:主なキャスト】
〔出演〕
森脇庄八:反町隆史
内田守:中村獅童
内田真貴子:鈴木京香
神尾克己:松山ケンイチ
伊達俊夫:渡辺大
西哲也:内野謙太
常田澄夫:崎本大海
児島義晴:橋爪遼
唐木正雄:山田純大
茂木史朗:高岡建治
川添:高知東生
玉木:平山広行
大森:森宮隆
町村:金児憲史
臼淵:長嶋一茂
野崎妙子:蒼井優
玉木ツネ:高畑淳子
西サヨ:余貴美子
前園敦:池松壮亮
組合長:井川比佐志
森下信衛:勝野洋
能村次郎:野崎海太郎
小池久雄:春田純一
古村哲蔵:本田博太郎
草鹿龍之介:林隆三
文子:寺島しのぶ
神尾スエ:白石加代子
有賀幸作:奥田瑛二
伊藤整一:渡哲也
神尾克己:仲代達矢
▲【映画MAD】男たちの大和【長渕剛/CLOSE YOUR EYES】
★『男たちの大和 YAMATO』otacyanのメローな感想・考察など
原寸大で再現したといわれている大和は確かに迫力があり、大変見応えがあると思います。
進発直後は、「大和ホテル」と呼ばれるほど、戦闘とは無縁の日々を送り、急いで建造したり改造される感じも再現されていたと感じます。今回は配信先で、再視聴しましたが、本作や戦争映画を観る時、私は、子供の頃のことを必ず思い出します。今日は個人的な思い出話も含んでいます。個人的な話など苦手な方はどうぞ、スルーしてください。
私は戦後15年後の昭和35年に広島で生まれました。私が9歳の時、福岡に帰省したおり、元海軍で最後は、特攻隊の教官を務めていたというおじさんの膝に抱かれた日のこと。おじさんが戦争当時、見たままの光景を話してくれたことを今でも覚えています。
夏の暑いあの日、蚊帳の中で昼寝から起きた時。”ポッポ♬”。鳩時計が、お昼の1時を鳴らしていました。なぜか、還暦を越えた今でも、あの頃の叔父の瞳が、叔父の声が、目から耳から今も離れていません。子供の時には、よくわからなかったことも私が大人になっていく度、叔父の言っていたその意味もよくわかります。
2019年9月14日大隅半島ソロツーリングにて
鹿屋史料館にて(写真撮影可能)
本映画作品の中に「ようも生きて帰ってこられたな」と罵声を浴びせられるシーンがあります。叔父も終戦直後、よく罵声をかけられたそうです。今の時代では考えられないのではないでしょうか。
叔父は海軍で戦艦大和の新発式にも出て当時の大和に乗ったことがあったそうです。あの日、農家を継いだ三男のおとなしい叔父さんが畑仕事から帰ってきて、私を膝に抱く兄の姿をみて…
「あんちゃん!!子供に話したっちゃわからんめえもん!!」
「黙っとけ!どうしても話しときたかと…。なんでか、この子とは誕生日も同じ、何かの縁や。こんこなら絶対わかってくれるはずたい・・・。聞いてもらいたかとよ」
叔父さんは、私を膝に抱きながら、鉛筆や紙も使って兵舎の様子や、ほうきを持ち出して操縦桿になぞらえてゼロ戦のこと、そして基地で特攻に送り出していった若者たちのこと、その一人一人のこと話すとき、言葉に言いようのない力強い哀しい瞳は今でも忘れられません。それからは夏休みの間、おじさんは時間のある限り私に話してくれました。
▲知覧特攻平和会館にある三角兵舎
おじさんが言っていた三角兵舎のこと
「特攻なんて思ったほど当たらんとさ。だから、それでも敵艦により確実にぶちあたるためには、想像を超えた一糸乱れぬ統率が最低必要となる。だから気持ちが乱れないよう、こんな小さな小屋を作った。人間一人にしたら、ろくなことしか考えないもんだ。怯えたり、逃げたりしてもらってはこまるからな。おかしいだろ?死ぬためにこんなややこしいことをしなければいけなかった。悲しい時代だ。人を人と思っていないのさ。」
母方の長兄であったおじさんは、太平洋戦争も最後、鹿児島の大隅半島にある鹿屋基地から沖縄戦線にむけて、特攻隊で出撃(魚雷を搭載)しましたが、敵機と交戦になり機銃を何発も浴び、墜落。しかし信じられないことに奇跡的に、深い雑木林のおかげで地上への激突が避けられ、魚雷抱えながらもかろうじて命は助かったのです。本土へ帰され、長崎県の大村基地で手当てを受けられることができたそうです。そして大村基地ででおじさんは終戦を聞いたといっていました。しかしながら、叔父の体から弾二発がとりだすことができぬまま、足を引きずりながらの生活でした。叔父は掘りごたつへ足を投げ出し、膝の上の私の前で紙にも使いながら、戦争中に出逢った特に若い子たちのこと、色々なことを教えてくれました。
おじさんは、戦後、原子爆弾を落とされた広島で、父も母も仕事をしてましたから色々心配していたのだと思います。新幹線のない時代でしたが、よく広島にきて私を呉基地や原爆資料館へ連れていってくれて戦争のことだけでなく、歴史や勉強を教えてくれました。
おじさんが私の家にきた時、私のお向かいさんの家の女の子の体の状態に気がつきました。おじさんは、お母さんに挨拶したあと「今、どんな暮らしされているんですか?」と。お向かいのお母さんが被爆者であったこと、その子もまぎれもない被ばく2世の子で、実際の年齢はわたしよりも6歳も年上の子であったことに、私ははじめて気づいたのです。叔父は、その親子のために国から色々な障害手当など支給できるよう動き回っていました。叔父は「わしが思ってた以上にここには苦しんどる人がいっぱいおる。優しゅう、力になってやらんといかんばい。頼むばい…」
ある日、家の近くの土手でおじさんと二人のとき…ポツリポツリと
叔父にいわせれば、当時、「燃料がないのは特攻機だけじゃなかとよ。援軍もない、片道の燃料のみ、飯さえもろくに積んでいない船もたくさんあったとばい」と言っていました。死ぬことを覚悟の上でお国のために戦う。年端のいかぬ少年でさえ、そんな人生の選択をすることが最上の誇りとされる…そんなことがあってもいいわけなか!。おじさんがこんなことを言ってたことを覚えています。
「それと当時、口癖のように言っていた、お国のため・・・それは、口上ばい!みんな何のために生きとるんや、何のために死ぬか、わからんとよ。ただどうにもこうにもやり場のないやるせない思いで、戦っただけばい。昔な、親父(祖父)に「私、海軍に士官します。」と言ってちかっぱ殴られた時、あん時は痛かった。泣きながら婆ちゃんも「止めて、止めてって。」爺ちゃんも貧しい農家だったからな。士官すれば給金ももらえるし国のために働けるとわしは、単純に思うとったんよ。あん時の親父の目が忘れられんとたい…。死んでいった若いもんたくさん見た。最後の出撃で何人もの若者を見送りもした。
「なあ、なんで戦争やらするかわかるか?それはな、人間、おろかものだからばい。ただおろかもんでも自分の両親や家族や友達、故郷が、踏みにじられるのはそれだけは嫌なんよ…いや、なんかかっこつけたいいかたばい。あのな、戦争さえなかったらおまえの父ちゃんも子供の頃、両親と死に別れせんでもよかったとばい。父ちゃん、つらかったやろなあ、苦労したろうなあ、おまえも、父ちゃんの爺ちゃん、ばあちゃんの顔知らんやろ?…」
「うん、逢ってみたかった…」
おばちゃん(叔父の妹であり私の母の姉)の旦那さん、あのひともよか男やったばい。じゃが、ガダルカナルで戦死扱いばい。おなかの子もお父ちゃんの顔見ずにな。あいつ、我が子抱きたかったやろなあ!!こんなこと、こんなことがあってええんか!?戦争で行って、戦場でマラリアにかかって防空壕で治療中に戦車で圧死ばい…信じられるか‼
▲彼らの想いよ永遠に
でも、これだけは思うな。これからの若いもんの世界が、悲惨な世界にだけはなってほしくなか。のぶちゃん、勉強はせえよ。ただ頭が良くなるだけじゃつまらんばい。人間のことをもっともっと勉強せにゃいかんばい!わしはあの時、なんで死ねなかったとかな。なんで戻ってきたとか、わからん…でも死んでいったもんのためにも、何かせにや、誰も許してくれんよな気のすっとたい。
叔父は不自由な足でしたが、その次に逢ったときは、なんとバイク(スーパーカブ)に、乗れるようになれるようになっていました(*゚Q゚*)。
「のぶちゃん、どげん?これなら運転できるばい!」すごい明るい大声に私も嬉しくなってしまいました。私がバイクに乗れたのも、ひょとしたらおじさんの影響だったかもしれません。おじさんは、その後、生涯社会福祉事業団で働き、82歳で旅立っていきました。
私にとって、父と叔父は私のかけがえのない誇りです。
『男たちの大和 YAMATO』感想・考察記事の場にて、徒然ながら私の思い出話を失礼いたしました。
昨日は、戦後80年、戦艦大和の戦没者慰霊祭が執り行われています。
👉戦艦大和の戦没者慰霊祭(西日本新聞)
お勧め度👍👍👍👍👉
お勧め度は作品の面白さ、仕上がり度、充実度などを👍1個2点✖5個で満点ですよ~
👉は1点
個人的な好みや主観もありますけどご参考までに
★『男たちの大和 YAMATO』(2005年、東映、143分)
★配信サイト
★NETFLIX 見放題
★FOD 見放題
★RakutenTV レンタル
★TELASA レンタル
★J:COM STREAM レンタル
★配信状況など変更になることがあります。詳細は配信サイトにてご確認ください。
【男たちの大和 YAMATO:製作スタッフ、公開データ】
監督:佐藤純彌
脚本:佐藤純彌
原作:辺見じゅん
製作:角川春樹
製作総指: 高岩淡、広瀬道貞
ナレーター:渡辺宜嗣
音楽:久石譲
主題歌:長渕剛
撮影:阪本善尚
編集:米田武朗
制作会社:東映京都撮影所
製作会社:『男たちの大和/YAMATO』製作委員会
配給:東映
公開:日本 2005年12月17日
上映時間:145分
製作国:日本
言語:日本語
製作費:約25億円
興行収入:50.9億円
★otacyanのメローな感想・考察など以外は作品情報などから引用









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